世界の終わりという言葉は,終わらない世界にしかない。終わりを考えるということは,夢見ることとおんなじ。夢を見ることで生きていける。世界の終わりを想像することで,生きて,いける。
コンピューター緊急対策チーム(CERT)が大規模なサービス拒否攻撃という攻撃が差し迫っていると警告している。だが,そんな破壊は簡単ではないという意見や,チャットサーバーの確保という別の目的でしかないという意見もある。そして,相変わらず開きっぱなしになっているセキュリティーホールを不思議に思うばかりだ。
たとえば,憧れのないものであれば,夢見るに値しない。叶えがたく,適しがたい,夢なんていつも,そんなもんだ。世界の終わりを考えるのは,夢見ることとおんなじだ。核兵器が飛んでくる? 太陽が膨張をはじめる? 見たこともない異星人の飛行機が来襲する? でも,もし本当の世界の終わりが来たら,そんなことを考えている暇はない。世界が終わっているということは,あなたはもう死んでいるのだ。夢見ることも似ている。夢いだいていたことが実現したら,それはもう「そんなもの」の価値しかない。
夢を見るから人は生きられるのと同じように,終わりを想像してこそネットワークは存在し続けられる。難攻不落であることが最大の売りであるIPネットワークも,わずかなほころびから崩れだしたり,不意をついたいたずらでTHE END,となる可能性もなくはない。そんなことを考えて続けていると,想像する終わりの中に今の自分を見いだせる。今,何をすべきかを考えられる。現実的でない「終わりのカタチ」に,耳傾けるのは無駄なことじゃない。(過去記事)
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